カメラだけではなく、楽器や文房具、調理道具に至るまで
探究心のあまり道具ばかりが増えて行くことがあります。
昔から自分は特に、その傾向が強いです。
まだ本当に安い楽器しか買えなかった頃は、プロは最先端のテクノロジーを
搭載した秘密兵器みたいな機材を使ってるから、あんなすごい音がでるんだろうな。
と思っていました。
写真においても、あんな写真を撮るにはあんな機材、こんな写真を撮るには
これも必要と、よくある意識感覚で機材が増えてしまいました。
また一方で、購入した機材は傷がつかないように大事に、雨の日は持ち出さないように、
今日は荷物が多いので家で待機、今日の状況では使えない。などせっかく購入した
機材も使用せずに保管している時間のほうが長かったりします。
ふと気がついたことは、プロはどんな機材を使っても そのひとオリジナルのものを
作り出すし、意識が機材に向いていることはない。
写真において大事なことは、どんな写真を撮るか?であり
どんな写真を撮りたいか? たったそれだけだ。
機材をあえて乱暴に扱う必要はないけれど、カメラのことを気にしているようなら
それは本質ではなく、雨の中でも、ほこりの中でも、どんどん使うことがカメラにとっても
一番良いことだと感じる。機材はどんなに大切にしていても、かならず故障するものであるし、
カビだって生えるし、傷もつくだろう。それでも修理して、清掃して、愛着を忘れずに使い続
けることが大切だし、撮った写真がもっとも大切なのだ。
そう、意識はいつもどんな写真を撮りたいのか?
自分の感覚が一番大切なこと。