森山大道の 『 HOKKAIDO 』という写真集が好きです。
もともと森山大道の良さはずっとわからずにいました。今では森山さんの写真にかなり刺激を受けるようになったのですが、そのきっかけは PHOTO MIYOTA で観た森山さんの展示でした。
数年前の夏に家族旅行で軽井沢を訪れた時、ホテルへ向かう移動中のバスの中から PHOTO MIYOTA の会場をたまたま見つけました。そのよく年も新幹線で観に行くことになる展示会にたまたま遭遇したのは本当にラッキーでした。
さっそく自由時間に会場に行ってみました。その展示会は通常の写真展示とは違って、屋外を大胆に写真展示に利用したユニークな展示だったのですが、会場の中に屋内展示空間があって
その中でスライド上映されていたのが森山さんの『 HOKKAIDO 』 でした。
その時に、森山さんの写真 そして荒れたモノクロの写真の独特の魅力に気づいた瞬間がありました。特に現在の解像度の高いツルッとした写真が主流となっている状況では、荒れ果てたモノクロの写真が放つ " 物質感 ” は完全に無視できない存在だと思います。
その後、森山さんのような荒れたモノクロプリントを作るにはどうすれば良いか調べてみました。結局あまり詳しくはわからなかったのですが、今では同じようなテイストでプリントを作ることはかなり難しいようです。当時のフィルムや印画紙があのようなプリント作り出す大きな要素で、すでにそれらを購入することができない、というのがその理由でした。
今では世界的評価を得ている森山さんの写真を真似してみても、なんのキャリアにもならないことはわかり切っていますが、それでも自分で荒れた写真を撮ってみたくて試行錯誤しています。
そのモチベーションにはおそらく二つの理由があるように思います。
ひとつは、世間で評価されている多くの写真の真似をすることによって、まだ見えていない細部が見えてくると思えること。以前大学の課題で模写の課題があって土門拳の模写にトライしたことがあります。ニコンのアナログカメラで仏像を撮影し自分でプリントしてみましたが、フィルムの感度が低く土門拳のようにプリントすることはほぼ困難でした。ただ模写やる前とあとでは、土門拳の写真から見えてくること、感じ取れることがまったく違うことに気づくとても貴重な経験になりました。
もうひとつは、今では女性にカメラを向けることに恐怖を覚えるほど写り過ぎてしまう写真に対する、自分なりの回答の一つとして。
これまでいくつか荒れたモノクロ写真をつくるために試したことがありますが、今日たまたま、かなり良い感覚を得られた方法がありました。
約15年くらい前にはじめて買ったニコンのデジタル一眼レフを使って ISO をめいいっぱい高く撮影し、現像ソフトで粒子を加える方法です。同じことを最新のデジタルカメラでやっても、こういうテイストにはならなかったのでまだ機能が発展途上であった初期のデジタル一眼で撮るというのがポイントでした。
しばらくは、荒れた写真ばかりを撮るということを課題として撮影して観たいと思います。
最後に機材について最近感じていることを書こうと思います。
カメラの開発競争も熾烈さをましています。毎年、これ欲しいなー!と思うカメラがかならず発売されてきます。そうなると今持っているカメラを売って、不足分を負担しながら新しいカメラを購入するというような感じになってしまうのですが、もうこれ以上高機能のカメラって、もう必要じゃんないんじゃないか?とうっすら気づいている自分を自覚しました。
だってせっかくの高解像度のカメラなのに、人に向けてシャッターを押すのが怖いと感じる時があるくらいなのです。なぜ怖いかといえば、写り過ぎてしまうからなのです。
特に写り過ぎてしまった時の女性の写真は、これをどうしたら良いか本当に困る時があります。
高いお金を出して購入したのに、こんな感情を抱いてしまうのもどうなのかな?と感じたのです。
写真は道具が大事なのではなく、あくまでも主役は写真。「何で撮るかではなく、何を撮るか」
そう思えば、機材についてアレコレ考えている時間があったらもっと他にやらなければならないことが山ほどあります。
私も今もっている機材を整理するなり、最大限活用することに努めて、今後新しいカメラを購入することはなるべくやめようと思います。
そんな思いもあって、15年前にはじめて購入したデジタル一眼をまた手に取りました。