東京都写真美術館
先日、久しぶりに東京都写真美術館に行った。
午前中、ロベールドアノーの映像を1Fホールで鑑賞し、その後 3Fの収蔵展から観ていった。
この時の収蔵展は
3F「夜明け前-日本写真開拓史」
2F 山崎博「計画と偶然」
B1F長倉洋海「地を這い、未来へ駆ける」
を展示していた。
朝から夕方まで様々な写真を視ていく中で、何か新しい疑問が湧いてきた。写真という技術が日本に伝わってから現在まで、技術の進歩とともに、写真の概念も都度変化してきた。「記録する」という機能が写真の主たる役割であることは、これまでもこれからも変わることはないだろう。
その一方で、表現する写真の意味、そしてそれを理解することの難しさについて考えさせられた。
一枚の写真を観て、「きれい」「上手い」など、一瞬で判断できればわかりやすい。
しかし一瞬で判断できる写真にそれ以上の意味があるのだろうか。
逆に何度見ても意味のわからない写真は、なんの価値があるのだろうか。
そんな疑問が湧いてきて、いくら考えてもその答えがよくわからない。ただ、自分が写真を撮るのであれば、綺麗に上手に撮るだけでなく自分らしさを写真に込める必要があるし、なぜその写真を撮ったのか、どうしてこのような写真になったのかを自ら言葉で説明できるだけの想いがなければいけないのだろうと思い始めている。
「写真がよくわからない」そう思うのと同時に、「写真を学びたい」と強く感じた。
カメラの技術だけではない。写真を学ぶのだ。
時代背景や技術発展の経緯など、写真まつわる知識も習得したうえで写真の像だけでなく、すべてを含んで写真を自分なりに理解できるように、写真を学ぶのだ。
学べば学ぶほど、自分が何も知らないことに気づかされていく。