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写真をやるってどういう意味?

自分にとっての写真とは

「写真をやってます」

これってかなり大きいフレーズ。

「音楽をやってます」と同じような大きな概念だと思う。
演奏する人なのか、作曲・編曲する人なのか、ジャズなのかロックなのか。

写真をやってますには3種類あるという。(鈴木心の言葉)
1.被写体が好きな人
2.機材が好きな人
3.撮るのが好きな人

自分は3でありたいと思う。
ありたいというのは 本来2の属性気質があるからで、つい機材のことに興味
が行ってしまいがちなことを自覚しているから。
でもずっと前から自分と機材の関係については気付いていて、いくらお金を
かけたところで自分の写真は基本的には何も良くならないことは解っている。
そして、何かを買ったとしてもまたすぐ次の機材が欲しくなるのだ。

カメラによってそれぞれの特性があるということは間違いないと思う。
手にするカメラによって気分も変わるしモチベーションが沸くことは多々ある。
クライアントさんの前であまりにも小さなカメラでは頼りないだろうし、街中
に大きなカメラ・長いレンズを持ち歩いていては不審がられるのは確実。
自分の撮影スタイルに合わせた適材適所の機材は必要だろう。
ここで忘れてならないのは、機材はあくまで機材。
機材があっての写真ではなくて写真があっての機材なのだから、まずは撮りた
いイメージがあるのが先で、それにはどんな機材が必要なのか?その順番を
間違ってはいけなのだと思う。

以前と比べるとカメラ・写真系のYOUTUBEチャンネルがかなり増えた。
その多くが機材系のチャンネルで、ライカが良いとか・シネマチックにとか
これは買い!だとか、毎回同じように機材についてアレコレ話している。

YOUTUBEの素晴らしいところは無料で視聴できることだろう。
でも言い換えればお金を払わなくてよいレベルのコンテンツだということなのだ。

中にはいつも心に刻みたくなる本質と思えることを発信しているチャンネルも存在
しているけれど、カメラ系のチャンネルが今のように増えて皆同じようなことをや
り出してくると、ほとんどのチャンネルは聞き流すか そもそも見る必要のないも
のばかりだと個人的には感じている。実際ほとんど見ないようにしている。

「撮るのが好きな人」になりたい自分がやるべきことは、とにかくシャッターを押す
こと。情報収集したり勉強したりするのはもはや必要なくて、とにかくカメラを手に
取ってシャッターを押すことなのだ。
また例に出して恐縮なのだけれど、写真家の鈴木心さんはつねにシャッターを押して
いる。そして常に自分で考えている。それをやり続けている鈴木心さんは凄いと思う。

さらに彼の凄いところは、これまで発売されてきた各メーカーのカメラ・照明機材は
ほとんどと言って良いレベルで自分で購入して試しているところだ。
自分で使った上で自分の評価を下し、良ければ使い続けるしダメなら売却する。

良い・悪いの判断は個人の問題なので結果は人それぞれだろうけれど、すべて試して
いる人はなかなかいない。そして心さんは購入した機材を話題の中心にはしない。
なぜなら鈴木心さんの興味は写真を撮ることだから。

鈴木心さんの軽~いノリの話方に(戦略的にそうしていると思う)騙されてはいけない。
知識・技術・経験のすべての高いレベルを持ち合わせた上で、軽~い印象の話し方をして
いることを忘れてはいけない。

こんなトップの人が毎日シャッターを押し続け、機材の使い方などを試行錯誤しているこ
とを考えると、自分のような素人が機材について考えている暇はないのだ。
歴史的な写真を良く観察し、歴史的な写真集を眺め、自己対話をしつつ自分が撮りたい事
やモノについて考え、そしてシャッターを押すことを毎日続ける。
撮った写真は人に見せる必要はないし、そもそも人に見せるために撮ることを辞めよう。

少し語弊があるが、人に見せようと思って撮る写真は何か違うのだ。
人に見せる必要のない写真をいつか人に見せることはあると思うのだけれど、それは
そもそも人に見せようと思って撮った写真ではない。なんだかわかりにくいけれど、
自分は人に見せることをモチベーションに写真を撮ることを辞めようと思った。

機材の進化で、今誰でも奇麗でカッコイイ写真・動画が撮れる時代。
はたして自分はこれからどうして行きたいのか?
そんなことを自問自答している中で

「写真をやる」という意味
私にとってその意味は、とにかくシャッターを押すということ。
最近自分にとって、写真をやることの意味はとにかく撮り続けること
そんな答えにたどり着きました。