フィルムからデジタルに移行して久しく、撮影したデーターをプリントアウトしていなかった。
画面で確認すれば済むことで、わざわざ費用をかけてプリントする意味がないと思っていたから。
そんなマインドが変わったのは、フィルムの現像を自分でやるようになってからだ。
暗室でのフィルムの現像作業、ネガから印画紙にプリントする作業を通して、
撮影した画像を紙に写し込むことの大切さに自然と気付くようになった。
暗室でのプリント作業といえば、印画紙への露光時間や、現像液の温度や調合によって、
プリントの仕上がりがまったく変わってくる。とても繊細な作業だ。
この地味で繊細な作業の中に、写真の大切な要素がたくさん詰まっているような気がする。
デジタル全盛の今であっても、一見面倒な暗室作業の中に写真を理解するための本質がある。
写真の意味や流通の仕方は変わっても、写真の本質は今も昔も変わらない。
私が現像作業を通して学んだことは数えきれないが、そのいくつかを紹介しようと思う。
通常「写真を撮る」と表現するように、多くの人がカメラを持って被写体を決め、シャッターを
押すまでが「写真」と捉えられているような気がする。撮ったところでほぼ終わりで、あとは撮れた写真をササッと確認して、SNSに上げる流れだ。
デジタルという手軽さによって、現在のように誰でが気軽に写真を撮る時代になったことは
とても素晴らしいことだと思う。難しいことを考えていても、撮らなければ何も始まらない。
とにかくシャッターを押すことがとても大事だということは、まったく疑う余地がない。
ただ、シャッターを押したあと、自分の撮った写真をじっくり見返すという作業は、多くの人においてあまり行われていない気がする。実はこの見返すという作業がとても大事なのだ。
自分がなぜ、この被写体に興味を持ったのか、なぜこの構図でシャッターを押したのか、この時どういう気持ちだったのか、カメラの設定はこれで適正だったのか、など写真を通して自分と向きあうことが写真の本質であるのだ。そして多くの人にとって写真は表現するための手段であるから、絵を描くように写真を撮るのが理想的だと思う。少なくとも自分は、絵を描くように写真を撮りたいと思っている。写真が日本に伝来して以来、肖像画から記録、記録から表現と写真の意味合いは時代とともに変化、拡大されてきた。
もし表現するために写真を撮るのなら、記録するという側面でない写真に挑戦してほしい。
カメラという機械を使用して、自分を表現するのです。目の前にある現実を現実通りに
写し取る必要はないのです。真っ黒でもいいし、ブレていてもいいし、その映像の中に
自分の想い、テーマがあればそれでいいのだ。。それにはまず、じっくり自分の写真と向き合うことが必要となる。それができるのは暗室作業である。
暗室では、1枚の写真をプリントするのに多い時は1時間近くを費やす。まず、どのコマをプリントするかネガをじっくり眺め、数十枚のコマの中からひとつを選び出す。
選んだコマを引き伸ばし機にセットし、印画紙に焼いていく。露光した印画紙を現像液に浸し
像が浮き出てくるのを、ワクワクしながら待つ。現像液、停止液、定着液、水洗と作業をすすめ
電気をつけてプリントされた写真をじっくりみつめる。理想としている写真となるまで、この作業を繰り返す。この作業は言ってみれば、自分の撮った写真を見返す作業だ。見返して評価する作業でもある。この見返すこと、評価すること、が本当に大切なんだと強く思う。
フィルム写真では、構図やピントを除いて撮影を終えた段階ではまだ写真は完成していない。
自分のイメージする明るさ、コントラスト、質感を、理想とする写真に近づけるために、プリント作業で調整していく。撮影を終えた後もまだ、理想に近づけることのできる余白があるということだ。この余白をどうするかが、オリジナリティであるし、難しいところなのである。
しかし、デジタルデーターにおいても現像という概念は存在すると思う。
RAWデーターを書き出すことが、ネガ現像に当たるし、プリンターによるプリントアウトが印画紙へのプリント作業にあたるだろう。モニターの色味を参考にしながら、プリンターにデーターを送る。実際やってみるとプリンターから出てくる写真は、思った通りの色味がなかなか出ない。
モニターに映る色味でプリントを試みるが、イメージしている色味と違っていることがほとんどで、この作業がなかなか難しいのである。デジタルプリントの色彩コントロールは、
OS、Photoshop、Lightroomと、それぞれがカラーマネジメントしており、理想に近づけるために適切に設定することが必要が求められる。なんとか理想に近いプリントができたときは、なかなかの満足感を得られる。そしてもし可能なら、プリントアウトはなるべく大きい用紙へのプリントをオススメしたい。なるべく大きなサイズの用紙にプリントアウトすることで、今まで気づかなかった事に気づかされることが多いからだ。
背景と被写体があっていないとか、見せたいものにピントが合っていないとか、構図の色の組み合わせがよくないとか、わざわざ費用をかけてプリントするだけの学びがある。
こう考えてみると、フィルムであってもデジタルであっても自分の撮った写真とじっくり向き合い、見返して評価することが大事であって、「撮ること」だけでなく見返して評価することが写真の本質であると思う。私は暗室の作業を通してこれに気付くことができた。
タイトルの「デジタル時代にプリントを手に取る意味」は、撮った写真を見返すこと。
撮った写真を自ら評価することである。じっくり見返し、評価するにはプリントを手に取ることが最も効果的だ。写真をあまりプリントすることのない方には、ぜひご自分の写真をプリントアウトすることをオススメしたい。そしてベストなものを選び出し、大きくプリントしてもらいたい。
プリントから気付くことが必ずあると思うから。