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卒業制作のこと

京都造形芸術大学

卒業制作着手

2年で卒業すると公言していた私は、結局2年で卒業することはなかった。

それは卒業制作に着手したあと制作を辞退したからだ。なぜ、辞退したのか。

そのことについて綴ってみようと思う。

2018年春、私は張り切って卒業制作に取り組む心算であった。実際、前期・後期とスクーリングを申し込みし、そして第一回卒制スクーリングも受講した。

それは「写真批評」の2日目の講義の中での出来事だった。

写真批評のために準備した事前課題はそれなりにまとめたものの、自分を出し切った内容でないことは自分が一番よく理解していた。なにせ京都造形に入学するまで写真を作品としてまとめたことはなかったし、そもそも写真を複数の組みにすることすら理解できないようなレベルからの入学だった。自分なりに1年間写真を学習して、それなりに写真に対するスタンスは変わってきたと実感はできていたが、自分の写真を作品としてまとめた経験があるのと、ないのとでは天と地の差があ

るのだと思う。

写真批評の講義に臨んだ私は、事前課題のために写真をまとめた。そして講師にそれをみせた。

1日目、2日目とそれぞれの講師は、私の作品を観てそれぞれの感想を言った。ひとりからは評価をいただき、もうひとりからは厳しい指摘を受けた。自分の写真を発表し人から意見をもらうことは、時としてとても苦しい行為だ。自分の恥部をさらけだすような恥ずかしさ、自分の内部に無断で侵入されるような感覚がある。

だとしても写真を学んでいる以上そこは避けて通るわけにはいかないし、発表すると決めた写真を自分の都合で調子よく裏切ることは絶対にしてはいけないと思っている。

自分の写真に対する批判には、その指摘が的を得ていたとしてもその場では、自分の作品を擁護しなければなるまい。自分の作品は自分の子供だ、他人から我が子が非難されたとしたら我が子を守れるのは親しかいないのだ。その非難に対して我が子にも問題があるようなら帰宅してから正すべきだろう。

「あなたは真剣に写真に向き合っていないね、」と講師は言った。

私はこの人はすべてわかっているんだな。と思った。

でもその時私にできることは、自分の写真を裏切らないことだけであった。

「そうなんです、本当は....」 などとは口が裂けても言わないことだけで精一杯であった。

クラス全員の作品発表と批評が終了し、最後のまとめとして京都造形出身の写真家さんのお話があった。自分がどのようにして現在までの立場になったか、在学中どのようなことを考え、どのように行動してきたかを、先輩として我々にお話をされた。その中でこんな話があったと思う。

「急いで卒業することも良いですが、時間が許すならじっくり芸術を学ぶべきだ」

私はそのとき、写真批評で痛烈に感じていた自己嫌悪と本当に自分のために学んでいるか?

という自問によって、急いで卒業したらダメだと思った。

単位を取るために学んでいるのではない、写真を学ぶため、芸術を学ぶためにここに来ているんだと心から感じたのである。

結果、講義の翌日わたしは事務局に卒業制作辞退を申し出た。

それは結果的に良い決断だったと思っている。

1年後またその時にお話をいただいた先輩である写真作家さんと話す機会があった。

彼はまた私にひとつアドバイスをくれた。

「京都造形の卒業制作は通過点だと思う。今現在できる精一杯で早く終わらせなさい」

そう、卒業制作はこれからの写真活動のスタートラインでしかない。卒業制作についていろいろな噂を聞いているし、実際に公開授業でその様子を観てきた。在学中は卒業制作がとてつもなく大きな壁のような存在になってしまうのだが、それは本来違うのだと思う。

自分の作品をまとめきる経験。完成した作品を公に発表する経験。

そして我が子である作品を裏切ることなく守りきる覚悟を持つための儀式でしかないのだ。

3年目となる今年、私は卒業制作に着手します。

全く後悔なく完璧に作品をまとめきることなど出来ないのだから、今できる自分の精一杯を限られた時間の中で出し切ること。それ以外に自分にできることはないと自分に言い聞かせ、そして出し切ろうと思う。